食文化を考える前に、その背景にある歴史や地理、気候風土等を知っておくとわかりやすくなります。
日本人がイタリアに対して抱いている一般的なイメージは、「暖かい気候風土」、「陽気で屈託のない国民性」、もう少し平たく言ってしまうと、「がむしゃらに働くより、もっと人生を楽しもうよ」というふうな
オプティミストが多い、等ではないでしょうか。これは少々ステレオタイプで、実は南北でずいぶん差があるのです。明るいオプティミストというイメージは、南イタリアには妥当であっても、総じて北イタリアには
あてはまらない気がします。北イタリアは、アルプスから冷たい風が降りてきて、冬は結構寒いのです。
北イタリアと南イタリアの人情の違いは、突き詰めて考えれば、気候風土の違いということになります。
人情や価値観、行動様式が異なる南北には当然の結果として、経済格差が生じています。工業が発達し経済的に南イタリアより優越している北イタリアには、独立も視野に入れた地域政党「北部同盟党(Lega Nord)」が存在していることからも、南北の違いを強く感じとれます。端的に言い表せば、北部は第二次世界大戦後工業が発展した地域、南部は工業化が遅れている農業地帯です。
古代ローマは、イタリア中部にできた都市国家を起源とし、次々と周辺を征服していった結果、その勢力は地中海全域に及ぶようになりました。
帝政、共和制などさまざまな制度や思想を発達させて、後世に多くのものを残しましたが、4世紀になると東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂します。西ローマは為政者が優れず、ゲルマン人の侵入で100年を待たずして滅亡します。一方、ゲルマン人の侵入が比較的少なかった東ローマは中世まで(1453年)繁栄します。首都コンスタンチノーブル(現イスタンブール)はその中心都市です。
476年に滅びた西ローマ帝国は、1時期東ローマ帝国に飲み込まれ、東ローマの1部になったこともあるが、東ローマが滅亡すると、さまざまな王国、公国、候国が興っては消えていきました。
1805年、ナポレオンは北イタリアの占領地域やオーストリアから獲得とした地方、王国をまとめて、イタリア共和国を建国、自身が大統領となるや、すぐにイタリア共和国をイタリア王国とします。しかし、ナポレオンはロシアに遠征したものの総退却を余儀なくされて、没落していきます。すると、各地に民族主義的運動が興り、王国、大公国、教皇領などに分割されていきます。以後、各地で革命運動が続発し、混迷を極めます。
長い間の混乱を経て、統一国家としてのイタリア王国の成立が宣言されたのは1861年のことです。その後普墺戦争に参加して勝利した結果ベネチアを得、普仏戦争でプロイセンに味方をして勝利をおさめたことから、1871年にはローマが併合されます。
以後、第一次世界大戦、戦後のファシズム政権、第二次世界大戦と歴史を刻み、第二次大戦後の1946年にイタリア王室を国外に追放し、共和国となります。